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正續会(坐禅部)の歩み

何かを求めた青年たちが集まり、
そしてその求めるものを見つける手段を見つけ出した。それが坐禅だった。
今もその真摯な意志が脈々と受け継がれる。

 坐禅部の前身は昭和22年4月に発足した「仏教研究会」だ。発足時のメンバーは越部平八郎氏(昭23旧高)、和波英郎氏(昭24旧高)、佐藤蕃氏(昭24旧高)、野坂二郎氏(昭27政)の4名だった。
 研究会発足以前から、勉強会のようなものはあったが、仏教研究会という名称を使ったのはこの時からだという。このことを越部氏は{正續十六号」の中で「私たちの時代はシーキング・エイジで、何かを求めているときですから、”私は仏教徒だ”とか”私はキリスト教徒だ”とかいうようなことは、はっきりしていなかったのです。だから何かを求めていたことは確かだけれども、自分がそこできちっと決まって、これしかない、唯一無二だと思ったことはないのです」と語っている。つまり、初めに仏教ありきではなく、初めにあったのはメンバーが求めている「何か」であった。その中で、メンバーの求めているものに最も近いものが仏教であった。
 研究会としての活動は、知識習得を主とする勉強会・輪読会を開く部門と、実践的な坐禅を行う部門に分かれて活動をしていた。会員はどちらかに属するというわけではなく、両方の部門で併行して活動し、仏教研究を行っていた。仏教研究会は昭和23年4月に正式に「仏教研究部」として輔仁会文化部の一つとなった。
 最初、坐禅は学内にその場所がなく、鎌倉の円覚寺や谷中の天龍院まで足を運んでいた。そして、発足から2年後の昭和24年、正門脇の元院長舎宅の裏手にあった6畳ほどの炭小屋を利用して坐禅道場が作られた。翌25年5月17日には、研究会発足以前から指導を受けていた円覚寺の朝比奈宗源老師を招き道場の開単式が行われた。この時、朝比奈老師から、現在までその名を残す「正續会」の名と、それを揮毫した額が渡された。同時に安倍能成院長により道場は「無着堂」と名付けられた。昭和29年になると仏教研究部は、朝比奈老師より授けられた「正續会」を正式名称とし、学内では「坐禅部」の名称を使用することになる。
 このように順調に活動を続けていた坐禅部だが、同年11月21日に無着堂が火事により焼失してしまった。その年は結局そのまま年を越し、翌30年3月末になってようやく再建に着手することができた。新しく部長になった筧泰彦教授を中心に再建は順調に進み、1ヵ月後の4月29日には新「無着堂」の開単式が行われた。それを追うように部室である「悟覚堂」の建設も始められ、雨漏りの問題などがあったものの、同年5月16日に完成した。無着堂の再建では、筧教授の家族も総出で実作業から休息場の提供まで協力し、部員たちの大きな力となった。その無着堂も昨年、平成12年に開単50周年を迎え、4月29日に無着堂開単五十周年記念式が開かれた。残念ながらこの50周年を迎える直前の平成12年1月11日に、無着堂再建に尽力した筧泰彦元教授は91歳で亡くなっている。
 現在の坐禅部は部員約20名。毎週火曜には無着堂で坐禅会を開いている。また学祭では歴代、お茶を日本に伝えた栄西禅師にちなみお茶を出している。その時には部員が育てた芋を使った芋ようかんをふるまうなど坐禅部ならではのサービスが提供されている。


昭和38年の無着堂の増築完成式。
前列左から3人目は安倍能成院長。4人目は朝比奈宗源老師